世界の陸上競技から地域のかけっこ教室まで......

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令和6年度 富山ジュニア陸上競技記録会

開催趣旨 ジュニア層の陸上競技の普及、振興を図ると共に、競技を通じてお互いの親睦を深め、陸上競技の競技力向上につなげるため。

  • 主 催 ほたるいかAC
  • 後 援 北日本新聞社
  • 日 時 令和6年8月25日(日)
  • 受 付 午前 8時~
  • 競技開始 午前 9時30分
  • 場 所 滑川市スポーツ・健康の森公園 陸上競技場
  • 実施種目 男・女各 100m、1000m、80mH、4X100mR、走幅跳、走高跳
    80mHは小学生のみ 4×100mRは小中・男女混合可能です。
    参 加 料 1人 500円 リレー 1チーム 1,000円 (当日受付にて)
  • 参加規定
    • ① 小学生・中学生であること。(個人での参加も可能です)
    • ② 出場種目数は1人2種目までとする。(リレーは除く)

  • 7月予定(気象状況により場所・時間の変更があります)
    • 7/27土曜練習17:00立北小
    • 7/28休養日
    • 7/29休養日
    • 7/30火曜練習17:30舟小
    • 7/31休養日
  • 8月予定
    • 8/1木曜練習18:30立北小
    • 8/2金曜練習18:30県総合
    • 8/317:00立北小
    • 8/4桃山チャレンジ(夏)

中学校競技会関係


  • 5月15日 朝日新聞
     ■栄光の女子マラソンと共に

 5月末、今夏の五輪を迎えるパリにいた。女子マラソンに出場する鈴木優花(ゆうか)の試走に付き添った。コースは起伏に富み、五輪史上最も厳しい、と言われる。「難しいコースだからこそ何が起こるか分からない。日本女子で花火をあげたい」。2人とスタッフらはその後、米コロラド州ボルダーの高地で合宿を続けている。
 3月末で28年務めた第一生命グループ女子陸上部監督を退いた。駅伝の戦い方はある程度確立でき、後任監督に託した。新しい肩書はエグゼクティブアドバイザー。鈴木らトップ選手を専門に指導する。「自分らしく、夢中になれることに新しく挑戦したかった。ちょうど良いタイミングで鈴木が五輪代表を勝ち取ってくれました」。五輪に限ればマラソンで尾崎好美、田中智美、トラック種目で上原美幸を育てた。鈴木は4人目となる。
 日本女子マラソンの栄光は、この人が扉を開けたと言っていい。
 1991年、27歳の時に東京で開催された世界陸上選手権で銀メダルに輝いた。金とは4秒差。五輪、世界選手権の陸上女子のメダルは、アムステルダム五輪の800メートルで2位に入った人見絹枝以来63年ぶりの快挙だった。翌年のバルセロナ五輪では有森裕子の銀メダルの陰に隠れたが4位に入賞。日本女子の五輪での戦いは、高橋尚子、野口みずきの連続金メダルに結実する。
 6歳から鳥取で育ち、鳥取大卒業後、いったんは地元の中学校教師になった。ただ、「教員と陸上競技の両立が描けないまま悩んでばかりの日々だった」。6月末くらいに起きたある出来事が人生を大きく変えた。
 学校行事の大山(だいせん)登山を終えて教師同士で食事を取っている時に、目の前にいた先輩の男性教師が倒れた。心臓発作で急死だった。将来なんてわからない。やりたいことをやろう――。母親の大反対を押し切り、教員をやめて、当時の強豪京セラの門をたたく。陸上部の拠点があった鹿児島へ飛んだ。「いいことでも悪いことでも、背中を押されるタイミングがあって、それをどうキャッチするかだと思います」
 けがに泣き、マラソンはバルセロナ五輪が最後になった。その後は指導者の道へ。全日本実業団対抗女子駅伝では2度日本一に輝いた。43回を数える大会でただ1人の女性優勝監督だ。
 昨年12月に陸上部のOG40人ほどが初めて集まった。その場で監督退任を明かしたため、ご苦労さん会の雰囲気になった。「教え子の中には伸び悩んだままやめた選手もいます。そういう子が来てくれたのはうれしかった」。選手との切磋琢磨(せっさたくま)はこれからも続く。
 (文・堀川貴弘 写真・伊ケ崎忍)
     *
 やましたさちこ(59歳)
 ――そもそも走ることが好きになった原体験は。
 走るのはしんどいから、好きとはなかなか言えないんですが、たぶん小学校の校内マラソンがきっかけなんだろうと思います。2年生からずっと1番で。やっぱり1番を目指せるからその後も続けられた。中学から本格的に陸上部で競技に取り組みましたが、楽しいというよりかは苦しい方が強かった。
 ――1991年の東京世界選手権で銀メダルを獲得。
 ちょっと話は違うんですけれど、大学時代に地元の鳥取で国体があったんです。私が活躍したら鳥取県中の人が喜んでくれるだろうと思っていたら、5千メートルで周回遅れの撃沈。じゃあ、世界選手権が東京に来るってなった時に、国体はダメだったけれど、今度頑張れば日本中の人が喜んでくれるだろう、っていう単純な思いだった。あと、母親の大反対を押し切って競技に専念する道を選んだので、一旗揚げないと地元に帰れない、という考えも常にありました。

 ■引退後の人生も
 ――4人の五輪選手を育成。大成する選手に共通点はありますか。
 選手にぶれない思いがないと無理だと思うんですよ。どんな選手でも「もうダメじゃないか」ってことが起きる。その時に本人があきらめずに強くなりたいという気持ちがあれば、こちらも本気魂で向かっていこうと思います。尾崎(好美)は貧血や疲労骨折を繰り返しましたし、田中(智美)は五輪を目指すにはスピード不足がありましたが、彼女たちは半端ない努力を続けた。選手の本音を聞き、本質をつきながら、こちらも本気モードで接することが五輪選手を育てる条件かもしれない。
 ――周りの人は「山下さんは以前と比べてずいぶん優しくなった」と。指導法などは変わりましたか。
 変わりましたね。尾崎や田中の時はギリ「昭和」が通じて、こちらが思う練習を遠慮せずにやらせていました。根性練習とは違いますけれど、今よりも質も量もタフだった。強い言葉で叱咤(しった)激励したこともあります。今は科学的根拠を含め、競技にどう結びつくかという一点のみを考えている感じ。選手やチームの成績も浮き沈みがありますし「山下メソッド」みたいなものはないですね。でも、いつも勝っていたら、勝つことが義務みたいになって、感動が薄れやしないかと。
 ――女性監督としては早くから生理のことや鉄剤の過剰摂取防止などに取り組んできた。
 選手生活よりその後の生活の方が長いわけですから、引退後の人生も健やかに、と考えています。血液検査や骨密度検査などは早くから採り入れました。自分も現役時代は疲労骨折をよくやったし、周りに鉄剤の過剰な摂取の影響で体調を崩していた人がいた。選手時代の苦い思いがベースになっています。
 ――陸上の長距離の場合、女性指導者の数は思ったほど増えていない印象です。
 やっぱり、合宿に行くなど拘束時間が長いので、お子さんが小さいと本当に苦労すると思います。私も陸上を優先するあまり、プライベートは後回しになりがちで、夫にも負担をかけてきた。最近も「女子の指導者を束ねるようなことをやった方がいいんじゃないか」と言われることはありますが、なんか形を作るよりも、ざっくばらんにやっていた方が面白いと思うタイプなんですよ。女子会のノリで相談を受けることがあります。

 ■とりつかれている
 ――高校や大学の頃に今の自分の姿が想像できましたか。
 女子マラソンは1984年のロサンゼルス五輪で初めて実施された種目なので、マラソンで世界大会へ行くとか、その後指導者になるとか、モデルがなかった。だからいったんは教師になりましたが、やはり陸上競技の長距離に関わっていきたいという気持ちはずっとありました。将来的にスポーツの世界で食べていくんだろうなというのは思っていましたね。
 ――マラソンとは、と問われれば。
 夢中になれるもの、としか言えないです。気づかないうちに選手の動きとかトレーニングのことを考えているし、家でお酒を飲みながらマラソンの動画とかを見るのが至福の時です。とりつかれているんでしょうね。
 ――アフリカ勢の台頭で、苦しい日本女子ですが、秘策はありますか。
 まずは目指す舞台のスタートラインに、元気な状態でつくこと。そして選手本人の強みが発揮できるかどうかです。鈴木には大事な舞台だからこそ、平常心を保って欲しい。五輪は4年に1回のイベントで周囲の盛り上がりも分かりますが、私自身はこれまでの経験から五輪を特別視することがなくなりました。あとはジュニアの育成ですかね。大人になって厳しい練習に耐えるためにも、優先すべきは体づくりや体の使い方だと思います。いずれにしても選手十人十色の指導法がありますから、自分も勉強し続けていかなければ、と思っています。

 ■プロフィル
 ★1964年、大阪市生まれ。鳥取市で育ち、鳥取東高から鳥取大へ進学し、競技とともに=写真、陸上の研究論文を読みあさる。ロス五輪代表の佐々木七恵にあこがれる。
 ★87年、大学4年で世界クロスカントリー選手権に出場。帰国の機中で、浜田安則・京セラ監督と陸上談義。3カ月半ほどの教員生活の後、浜田監督の指導を仰ぐために、京セラへ。
 ★91年、名古屋国際女子マラソンで初優勝。
 ★96年、第一生命の監督に就任。翌年の東京国際女子マラソンで優勝した伊藤真貴子の存在が「指導者に向いているかもしれないと思わせてくれた」。
 ★2009年、ベルリン世界選手権で尾崎好美が銀メダルを獲得。
 ★日本陸連理事や東京五輪強化コーチを歴任。新しい代表選考レース、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の創設にも携わる。「地元開催の五輪の代表選考で、もめてはいけないという一心でした」


  • 4月26日 朝日新聞

 国が進める公立中学校の部活動の地域移行は、4月に「改革推進期間」の2年目に入った。先進的な地域からは、その具体的な姿がみえ始めている。一方で、課題も浮き上がる。(藤田絢子、中小路徹)

 ■クラブ創設、子どもに選択肢
 静岡県掛川市は、2026年に市内9中学すべての部活動を廃止する。平日を含めて地域クラブに移行させる計画だ。
 他に先駆けて創設されるFC掛川Southの練習が、10日に大須賀中であり、中学1年を中心に10人が集まった。市内南部の中学にはサッカー部がない。少年団でサッカーをしていた子が、中学で他競技の部に入る例が少なくなく、地域クラブ創設の希望が出ていた。指導者は少年団のコーチたち。「中学ではサッカーをやめる気でいたが、このクラブができると聞いて入ってきた子もいる」とコーチの斎藤智美さん(50)は話した。
 市はニーズに応えようとしている。小学生へのアンケートで中学でやってみたいことを聞くと、サッカー、軟式野球、美術とともに、どの中学にも部がないバドミントン、料理、プログラミングが毎年上位に来る。志向も多様で、大会に「出たい」の41%に対し、「出たくない」も24%。やりたいことや志向に合わせてクラブや活動内容を選べるようにする予定だ。
 市の調査では中学校体育連盟が主催する大会前の6月は、全顧問の76%が過労死ラインを超える残業時間だった。教員の重い負担を減らすために平日も含めた移行を決めた。
 地域クラブの指導者への謝金などに、中学生側には会費が生じ、スポーツ系は月に6千~8千円、文化系は月に4千円が想定されている。
 山口県周南市も2年後に完全移行する。市内の中学に140ほどあった運動部は最近十数年で20が廃部に。子どもの選択肢も狭まり、22年度には市内13校のうち8校で、最大で3競技からしか部を選べない状況になった。「休日移行の後に、平日に取りかかる2段階の移行だと約20年かかる。長くは待てない」と担当者は話した。

 ■家計の負担2倍、説明会4度
 3月中旬の土曜日、長崎県長与町の中学校の校庭で、活気ある声が響いていた。
 いずれも部員が9人に満たない三つの中学の野球部員たちで、全員で11人になる。この日は内野の連係を合同で確認していた。4月に長与中3年になった中野洸志郎さんは、「平日はキャッチボールと簡単なノックだけ。ここでは実績ある方から専門的なことも教えてもらえて楽しい」。
 約10年前から中学単位では団体競技が存続できない状況が度々起きており、町は休日の部活動を地域に移した。12種目21活動がある。
 国が地域移行のモデル事業を始めた21年度に、当時、長与中の校長だった金崎良一教育長らが中心となって同校卓球部で先行して始めた。現在も国からの助成があるが、いずれなくなることが予想される。当初から月3千円の受益者負担(会費)を求めた。それまでの部費の2倍にあたり、保護者から反発が起きた。そこで、2時間にわたる説明会を4度開催。要望や質問に耳を傾け、理解を求めた。23年冬の町のアンケートでは、子どもの約9割、保護者の約7割が、「満足」「普通」と評価した。
 教育長は「子どものスポーツの環境を残し作る。そのために大人は、負担ではなく『加担』という、祭りのみこしをかつぐ精神を持つことが大事だと思います」。
 千葉県柏市は、学校単位で土日のみ活動するクラブを立ち上げた。平日は学校の部で活動する部員のうち、地域クラブに登録して土日も活動するのは約7割だ。
 運営母体は柏スポーツ文化推進協会。事故の際の緊急対応や、ハラスメント防止などの研修をして、質を担保している。

 ■計画策定、自治体半数が未定 熊本市、検討委「今後も学校で」
 国が助成する地域移行のモデル事業に、2023年度は約340自治体が取り組み、今年度は500超に広がる見込みだ。自治体に聞いた各調査で移行の現状が見えてくる=表2。
 日本部活動学会前会長の長沼豊氏を代表とする長沼科研チームの調査では、地域移行を既に進めている学校があるかを聞いた質問に対して、「はい」は29・1%で、「いいえ」70・9%だった。
 スポーツ庁のアンケートでは、推進計画を「策定している」が17%、「23年度中に策定予定」が32%、「策定していない・未定」が半数を占めた。策定していない理由は「見通しが立たない」「先んじて協議会で議論する」などがあった。協議会を設置していない理由は「議論が成熟していない」などだった。
 一方、国の道筋と違う動きもある。熊本市は3月26日、検討委員会が「今後も学校で継続」とする答申をした。
 国が受け皿として考えるクラブなどの学校外の活動の場について、「指導者の不足や高齢化などにより、中学生の受け入れが難しい」との見解を示した。
 そのうえで、指導を希望する教職員と地域住民の人材バンクを設置するなど、持続可能な学校部活動の運営の方向性を答申。市の担当課は「今年度中に方向を決めたい」と話している。

 ■国は地域任せ、熱心さで格差も
 国の検討会議メンバーだった笹川スポーツ財団・吉田智彦研究調査グループ長の話
 まずは「子どもがスポーツする権利」を置き去りにしていませんか?と尋ねたいです。財団の調査では、中学から高校に移る段階で一定のスポーツ離れが生じます。ある自治体で、中学の休日の活動を地域に移行したところ、なんらかの理由で約3割が不参加の選択をしたといいます。別の自治体では、学区を越えた拠点校への移動や、会費といった生徒の負担も課題となっています。改革の推進がスポーツ離れの時期を早めることにならないか懸念しています。
 全自治体の約3割は人口1万人未満です。人材、組織、事業運営、多様な機会の提供といったことを考えられるリソースのある自治体がどれほどあるでしょうか。国はモデル事業の展開にあたり、「地域の実情に応じて」と言いますが、実質的には地域任せです。熱心に取り組める地域とそれがかなわない地域と、格差が生じるとみています。
 地域はまず、各協会や少年団、学校などの組織間で目線合わせをすることが大切です。それぞれの役割を明確にして積極的に関わる体制を整え、地域全体のスポーツ活動をどうしていくかという、グランドデザインを描く必要があります。子どもの意見も聞きながら、継続性のある仕組みづくりが求められています。


  • 4月22日 朝日新聞
    (2000年全国中学100m優勝の里さん、この年にコーチがO中学の男子リレーを全国中学に行かせました)

 アスリートのスピード強化のプロである里大輔さん(38)が、バレーボール女子のNECを指導するようになったのは2021年のことだ。そこには女子日本代表の中心選手・古賀紗理那(27)がいた。
 里さんは当時、こんな話を耳にしていた。「古賀はもう、ピークを過ぎた」。17歳で代表デビューを果たし、8年ほどが過ぎていた。
 里さんによるチームのトレーニングは週に1度、70分ほど。古賀のジャンプを見てすぐに気付いた。
 助走を始めるとき、重心がかかとに偏っていた。余分な動作が生じ、動き出すまでに時間がかかっていた。
 古賀には走り込みやステップワークのメニューを課した。重心の位置を足の前側かつ内側へ移すことで、動き出しやすい姿勢を体にしみこませるのが狙いだった。助走のかたちが整ってから、段階的にジャンプの練習を取り入れた。
 空中で姿勢を保つための体幹トレーニングも提案した。1日あたり20種類ほどの動きを計600回。
 里さんは、与えたメニューを古賀が試合の当日にもこなす姿に驚いた。試合への影響を考慮し、さすがに避けるだろうと考えていたからだ。「そんな選手は初めて見た。どこまでも素直に、ピュアに取り組んで成長していく姿は見ていて面白い」

 ■向上、年齢関係ない
 里さん自身は陸上の短距離経験者。ラグビーの年代別日本代表やサッカー選手なども指導してきた。過去の指導経験を通じ、団体球技は戦術の練習に割く時間が大きく、個人の能力には改善の余地があると確信していた。「ジャンプ力の向上に年齢は関係ない。今まで手をつけてこなかったのだから」
 古賀は2023~24年のVリーグ1部でアタックとバックアタックの決定率、ブロックのセット平均回数で自己最高を更新した。22~23年シーズンも含め2季連続のMVPも獲得した。「空中姿勢が良くなったし、高くジャンプできるようになった」。NECの金子隆行監督も「最高到達点へのスピードが男子並みになった」と成長をたたえる。

 ■パリ切符かけ挑む
 女子日本代表はパリ五輪への出場権をかけ、5月に開幕するネーションズリーグに挑む。代表の真鍋政義監督は「古賀がたくさん点を取るのが五輪への一番の近道」と期待を隠さない。
 主将を託された古賀は「まずは自分のプレーにフォーカスしたい」。鍛え上げたジャンプを携え、パリへの道を切り開く。(加藤秀彬)

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